お金の先生ビジネス塾講義⑩

経済とお金を考える

今回の講義では、経済とお金の関係についてマクロ的な視点で解説していきます。

 

歴史的事実を分析することで、資産運用におけるヒントを得ることができます。

130年で株価は数千倍になっている

このチャートは日経平均株価を基準に、明治時代にまで遡って連続性を持たせて(移動平均線で示した)表記した図になります。

日経平均株価は米国のダウ平均株価をもとに、戦後に作られたものですから、戦前には存在していません。 

戦前にもいくつかの株価指数が存在していましたが、現在のように本格的な株価指数と呼べるものはまだありませんでした。

明治時代になると株価指数自体も存在しなくなります。

しかし明治時代には、東京株式取引所の株価が事実上の株価指数とみなされていましたから、このチャートもそれにならっています。 

また100年もの期間になると、株価は数千倍に上昇していますから、普通のチャートでは記載できません。

このため縦軸(株価指数)は対数表記になっています。 

※対数というのは、目盛りが1つ上にいくと、数字は10倍になります。

 過去130年間で、日本の株価は約8000倍に上昇しました。

年間収益率に換算すると平均約7%ということになります。

他の条件を何も考えずに長期にわたって投資をしていれば、年間7%ずつ資産が増えて行くことになります。

7%の収益があれば、10年間投資すると金額が2倍弱になる計算です。

20年間投資を続ければ、4倍近くにもなります。

これが長期投資の醍醐味です。

株価の超長期トレンドを捉える

長期的な株価の動きを考える際には、まず長期的な株価のトレンドがどうなっているのかを知ることが重要です。 

株価というのは、短期的にはランダムに動くことで知られていますが、ある一定の期間、トレンドを形成することも分かっています。

これは長期でも同じで、株式市場には約年程度の長期的なトレンドが存在します。

過去130年における株価の動きは、次に示す6つの大きな時代区分に分けて考えるとより明確になります。

それぞれが大きな超長期トレンドを形成しているからです。

歴史上の6つのトレンド

① 日本経済黎明期(1880年~1920年、約年間×2) 

② 長期低迷期(1920年~1945年、約年間)

③ 戦後高度成長期(1945年~1960年、約年間) 

④ 戦後停滞期(1960年~1975年、約年間) 

⑤ バブル経済期(1975年~1990年、約年間) 

⑥ 長期低迷期(1990年~現在、約年間)

日本経済黎明期

当時の日本は、近代化に伴い、日清戦争(1894年)と日露戦争(1904年)という極めて重要な2つの戦争を経験しています。 

戦争と株価については、後ほど詳しく説明しますが、この時は、どちらもバブル的な株価となり、億万長者が続出しました。戦争が起こった際の株価の動きは、平和な時代に育った私たちとしては非常に参考になります。 

この時期の日本は、今でいえば新興国の位置付けであり、低付加価値の工業製品(主に綿製品)を大量に生産していました。

株価は新興市場らしくボラティリティ(価格変動の幅)が高く、上下変動が激しいのが特徴です。 

ただ、日清戦争の勝利で得た賠償金によって金本位制(厳密には金ポンド本位制)がスタートするなど、現代的な金融システムも急速に整備されていきました。 

リスクも大きかったわけですが、基本的に株価は驚異的な上昇を見せています。

同じような時代に日本が逆戻りすることはないでしょうが、新興国の株価の動きや経済の推移を考える上では、当時の日本は非常に参考になるはずです。

新興国から先進国に移行する際に起こる出来事は万国共通だからです。  

海外特需はバブルを起こす

大正時代に入ると、資本蓄積が一気に進み、国民の生活がかなり豊かになってきます。

この時代で注目すべきなのは、日本が、いわゆるバブル経済をはじめて経験したという点です。 第一次世界大戦(1914~1918年)は日本にとってまさに特需といってよいものでした。 戦争の勃発によって、英国やドイツなど、欧州の工業国による生産だけでは工業製品が間に合わず、日本にも大量の発注が回ってきたのです。 

戦争という特殊事例ではありますが、海外の需要が堅調だと、日本の製造業が潤い、国内の設備投資が活発になって株価が上昇するという構図は、すでに、この時代に確立しています。 

この時代は株価が非常に好調だったことから、やはり億万長者が続出しました。 

お金を見せびらかすようなタイプの人を「成金」と呼びますが、この言葉が広まったのも実は大正時代の株価バブルがきっかけです。

長期低迷期

好景気を謳歌した大正バブル時代は、残念ながらあまり長くは続きませんでした。 

大正バブルが崩壊すると、日本経済は長期の低迷期を迎えます。

世界恐慌に直面した日本経済は完全に機能不全となり、軍部の介入と統制経済を招いてしまったのです。 

昭和に入り、太平洋戦争が終結するまでは、日本の資本主義の歴史の中で、最も暗い時期と言えます。

しかし不思議なことに、日本が壊滅寸前まで追い込まれた太平洋戦争中、日本の株式市場は思いのほか堅調でした。

それは政府による株の買い支えがあったからです。 

日本の株式市場には、PKO(政府による株価維持策)という言葉がありますが、PKOのスキームの多くは、戦時統制によって生み出されています。 

日本はすぐに官製相場になりがちなのですが、この原点は、戦時中の国家統制システムにあります。

日本の戦時体制は形を変えて存続しているわけです。  

昔もあった構造改革派VS抵抗勢力の争い 

この時代の最大の特徴は現在との高い類似性です。 

第一次世界大戦が終了すると反動不況が押し寄せ、日本経済は長期のデフレに突入します。

デフレ経済に直面した当時の日本における最大の課題は、銀行の不良債権処理と、経済のグローバル化への対応でした。 

第一次世界大戦と前後して、世界では技術革新や事業の国際化が進んでいたのですが、これについて行けない日本企業の経営が停滞してしまったのです。 

経済ジャーナリズムの世界では、思い切った人員整理と企業のビジネスモデルの変革が必要という論調が出てくる一方、こうしたやり方は、欧米流のグローバル資本主義への迎合だとして、これに反発する声も高まっていました。 

まさに構造改革派と保守派(抵抗勢力派)の争いということであり、現在の日本と驚くほど状況が似ています。

また1923年に発生していた関東大震災の影響が思いのほか大きく、日本経済は壊滅的な状況に陥っていきます。

結果として日本が選択した道は、国債の大量発行によるマネーの大量供給でした。

しかも、その財源は、日銀の国債直接引き受けによって賄われたのです。 

大規模な公共投資や市場統制によって混乱は回避されましたが、膨張する政府債務によってインフレが進み、国民生活は苦しくなっていきました。 

世界恐慌対策としてスタートした国債の大量発行は、やがて財政ファイナンスとなり、日中戦争と太平洋戦争でさらに際限のないレベルまで拡大していきます。

最終的には終戦直後、準ハイパーインフレという最悪の形で帳尻を合わせることになってしまいます。  

◆昭和初期の経済・金融危機の際には、日銀の大量資金供給で景気と株価が持ち直したものの、次第にインフレでその効果が薄れます。

あくまで仮定の話ですが、当時と状況がそっくりの日本経済が、やはり当時と似たように推移するのであれば、現在の日銀の量的緩和策によって景気は何とか持ち直したとしても、インフレによって生活が苦しくなる可能性があります。

投資で重要なのは、短期的な株価ではなくトレンド

株式投資で失敗するひとつの理由は、トレンドの見極めがうまくいかないことです。 

先ほどの130年チャートでも分かるように、株式市場には短期・長期両面でのトレンドというものがあります。

戦後の動きだけを考えても、成長期と停滞期を繰り返していることが分かります。 

先ほど、超長期的に見れば日本株は平均年7%程度の収益率があると伝えましたが、あくまでこれは平均値です。

日経平均が4万円目前だった時代に株を買ってしまった人は、年たった今でも利益を出せずにいます。 

一方、2003年の8000円割れや、2008年の7000円割れの時に買うことができていれば、わずか数年で大きな利益を上げることができたわけです。 

実際、2003年に大底となり株価が数年で急上昇した局面では、日本でも数多くの億万長者が誕生しました。 

長期的スタンスでじっくり構えていれば、やがて利益が出せるといっても、大きなトレンドを見誤ってしまうと、その損失を取り返すことは容易ではありません。 

こうしたトレンドを正確に見極めるのはなかなか困難です。 

ましてや、大底で買って、頂点で売るという行為は誰にでもできるような芸当ではありません。

しかし、長期的な株価の流れをしっかりと見ておけば、少なくとも、バブルの頂点で買って、下落の最終局面で売ってしまうという事態は避けることが可能となります。 

長期的なチャートを見て分かることは、「時間」というものの重要性です。 株価は時として、想像を超えて上昇したり、下落したりします。

まずは長期的トレンドを抑えることがとても重要です。

今は国債バブル

過去のインフレ率